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12ターン
佐川 琴里 (さがわ ことり)
病室に兄妹がいた。
夕日を背に、兄が妹に絵本を読み聞かせていた。
兄はベッドに、妹は傍のパイプ椅子に、それぞれの格好で座っていた。
たんたんとページを手繰る音が響いていた。兄の声は心地よい響きだった。
妹は身を乗り出して挿絵を眺めた。斜陽を受け、絵本の全てが朱色に染まった。それは兄妹もまた同じだった。
「―心地よい自己犠牲に身を委ねた独りよがりの聖人と、
その破滅を幇助した愚鈍な善意。何の努力も労せず幸運に見舞われる貧者。その他群集。後味が悪いね。聞いていてそうは思わなかった?」
兄はシーツの横に用済みの本を放り投げた。妹は危なっかしくそれを両手で受け取り小首をかしげた。
「童話は教訓を含んでいなければいけない、多かれ少なかれ。琴里みたいな子が読んで、何かを学び取るための教科書なんだから。
これはその役割を放棄している。善人が損をするなんて、そんなの現実だけで十分だよ。ファンタジーには夢と希望が溢れているべきだ。」
兄は、体に繋がれている数本のチューブと吊るされた点滴のパックを眺めながらそう呟いた。
「良く分からないや。兄さん、もっと優しい言葉を使って。小学生でも分かるようなさ。」
「うん、よろしい。我が最愛の妹よ。このツバメにも劣る脳みその持ち主よ、君はそれでいい。」
「あんたに馬鹿にされるのは慣れているけど・・・」
妹は子供らしく頬を膨らませた。それは幾分作為的だった。兄はますます笑みを深めた。
「ツバメも君ほどのお馬鹿さんだったなら、きっと幸せを運ぶ事にになんの躊躇いも無かったし、寒さで死ぬことも無かったろうね。」
「父さんと母さんに言いつけるぞ。」
「彼らは仕事で手一杯だ。僕の相手どころじゃないだろ。
・・・さ、またいじわる兄貴と口喧嘩して泣きべそかきたくなかったら、お家に帰りなさい。面会時間も過ぎるころだよ。」
兄は白い手をそっと妹の頬に当て、少しだけ名残惜しさをにじませて告げた。
「だからぁ・・・・・・ま、いっか。うん、また来るね。二人に何か伝えることはない?」
「一つある。」 「何さ。」
兄は妹の両手にあった絵本を何気なく取り上げ、代わりに封筒を差し出した。
丁寧で美しい文字が、あて先に並んでいた。兄妹の両親の名だった。
「大切な手紙だ。僕の意思と遺志。」
兄の眼に微かな覇気が宿った。妹はそれを見過ごした。
「いし?」
「お馬鹿さんには教えない。じゃあね。」
兄は綺麗な間隔で手を振り、妹が見えなくなるまでそれを続けた。
とても慣れた仕草で無駄が無く、手を振ることの意味を忘れた、記号的な動作だった。
その動きも、ドアの閉まる音と同時にピタリと止まった。彼の利き手は次に、自身の目蓋にあてがわれた。
先ほど妹の頬に触れたときのように、彼はその眼球を目蓋の上から優しくさわった。
ずいぶん長いこと、彼は目蓋を、眼球を、撫でていた。
「小さなツバメさん。動けない僕の代わりに、届けておくれ、僕のこの――」
妹はその後、とある街に連れて行かれた。
彼女が兄と会う事は二度と叶わなかった。
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